公立に落ち私立に通って3ヶ月がたった
どーも。公立高校に落ち私立高校に通っている生きてるだけで金がかかるJKです。
高校生になって早3ヶ月。もう公立高校の事を忘れられたと思われるかたもいるのではないのでしょうか。私は全くわすれられません。その公立高校を目指す期間が長かったからでしょうか。その公立高校の内進とも呼ばれる中学校も受けていたので約6年間はその公立高校に入る事を夢見てました。他の高校も勿論考えましたが、やはり最後にはこの公立高校を選びましたよ。今でも私立高校の制服を見て「なんか違うな」と思う時があります。まさか私立高校に通う事になるなんて1年前の私には考えられませんね。
最近よく志望していた公立高校に行っている友達に会うのですが、必ずといってその日の夜は夢に公立高校出てきます。
進路の話もするのですが、私の行っている私立高校は私のコースでは公立大学は受けれないというコースなのでもうすでにコース選択を迫られてます。しかし公立高校にはそこまであせあせしてないようです。羨ましいですよ。まさかここまで選択肢が減るとは思いませんでしたね。せっかく頑張って勉強して普通科に入ったのに。
たまに思い出します。公立高校がある町を。よく自転車で友達と探検に行ってたんですよ。ふと高校への道を思い出し寂しくなりますね。電車に乗って人混みより田舎を颯爽と走る自転車になるとおもっていたのですが、どれももう叶いません。どんどん思い出の中に放り込まれてます。ちょっと成長したのですかね。
さぁ期末テストも近いので勉強をします。どこに行ってもテストはあります。戦う場所が変わっただけです。
高校落ちた
ブログのサブタイトル?にもあるが、私は受験生だった。
田舎なので公立に落ちたら私立って感じ。
私の第一希望は公立でした。
しかし、落ちました。
ずっとそこに入りたかったのですが
落ちました。
ほんとうにショックです…
結局落ちるときは落ちます。
私立は高いので親にも迷惑かけまくりで辛いです。
ほんと、生きる希望がありません。
KAT-TUN田口淳之介くんに卒業しなくてはいけない
あの赤コートから1年たとうとしてるそうです。
1年前の赤コートの前はKAT-TUNファンでは無かったが、タメ旅を見たり、歌番組を見たりしてたので、KAT-TUNの活動は見てました。
友達とよく
「KAT-TUNの中では誰が好き?」
といわれたとき、
「絶対田口くん!」
と言ってました。顔も美少年で歌番組で見ると動きが大きいのが相葉ちゃんににてるといつも言ってました。
友達内での人気も凄く田口くんのことが嫌いな人なんて1人もいなかった。
そんな、田口くんがベスアで衝撃発表をした。赤コートを着て。
タメ旅でいじられ続け、最後までかっこよくて本当にいなくなるなんて思えなかった。なんて思ってたら春なんてあっという間に来た。ほんとはここで田口くんに卒業しなくてはならなかった。
なんだかんだKAT-TUN担になったので充電期間に入ってからも過去のDVDとかを見ていた。その中には田口くんはいた。残してたタメ旅も少プレも。その、ずっと笑ってる田口くんに夏頃には凄い憧れを感じるようになっていた。
周囲には
「私、田口くんみたいにとにかく笑顔な愛されキャラになるから」
と宣言しまくっていた。
それだけでなく、有閑倶楽部を見て、
美童グランマニエ(田口くんの役)にハマりまくりました。
口を開けば美童という状態でした。
あのキャラは田口にぴったりで大好きでした。
田口くんが活動しない間に勝手にKAT-TUNの中の田口くんを大きくしてしまったのだ。
そうしていると、田口くんがソロデビューする事が分かった。彼のサイトを見た瞬間ぽっかり心に穴が空いた気がした。
とやっと分かったのかも知れない。サイトの大人っぽさにもう、「うそうそかわうそー」とか言えないねって思った。 自分が勝手に憧れた人が変わっていた事にショックを受けた。
ずっと野生の田口くんでは勿体ないのも分かってる。一生見れないよりは活動してほしい。でも活動しちゃうと、どんどんKAT-TUN田口淳之介が過去になるのが寂しいし嫌だった。
ソロが決まった後は有閑倶楽部もタメ旅も見れてなかった。SPINの曲は聴いてたけど。
冷静になると、30過ぎた男にくん付けって変なのって思うようになった。
あぁまた、KAT-TUN田口が消えてった…
いつの間にかCDも発売された。
聞いてみたけど、田口くんなのに田口くんじゃない。誰だこれ状態。結局途中でやめちゃった。
もう、1年たとうとしてるんだ。
確かにそうだ。赤西や田中みたいに
元KAT-TUNと思えるようにしよう。
3人の期間が短く、10ks!を見た事ないから4人だって心のどこかで思ってしまうのだ。そうだ、10ks!を見よう!
後は時の流れだ。
そろそろだ。
田口淳之介へこれからも頑張って下さい!
こんな、つまらない記事を読んでくれた方ありがとうございます。田口淳之介への区切りとして自己満に書いています。不愉快に思われたかたすみません。
受験生はKAT-TUNを聞け!
どーも!受験が着々と近づいており、焦りが出だしたあんこです。
受験生ってストレスが溜まる!!
家を飛び出したり、アスファルト蹴り飛ばしたくなるよね!
ただ、そんな事したら塾に間に合わない…
さぁ、こんな時はKAT-TUNの曲の出番だ!信頼のオラオラとギラギラは貴方を強くしてくれるだろう!
・Real Face
まずは、誰でも知っているこの曲!
複雑な若者の気持ちをわかってくれてる曲なのは間違いなし!これを聞いて、勉強を頑張り、先生や親など周りの大人をブチ破ろう!リアルを手に入れよう〜
・ハルカナ約束
だけど、信じられなくて
家を飛び出してきた
勉強してもしても分かんない!問題の答えも信じられない!なんて時はこの曲!同じ服を着た 仮面を付けた大人にならないよう今頑張ろう!
・GOLD
オオーナッシングナオーネバーウィーキャメキハピメキユキャメギバ
ほぼ、英語で何言ってるかわかんない?でも、ただオラオラと強そうな事はわかった。汚れたシャツが君の地図ってどんだけ男前なんだよ!勉強しようかどうかで悩んでんじゃねーよ!勉強しないと命はねーからな!強気でいくぞ!強気で!
うるさい記事ですみません。
きっと受験生のストレスを発散させるでしょう。さぁあなたも家を飛び出す前にKAT-TUNの曲を叫ぶように歌おう!
(この記事を最後にはてブロを読むのを止めるのが合格への近道です…)
by現在D判定の受験生
ジャニオタな人生2
1を読んでくださったみなさんありがとうございます。
思ったより自分の文がひどくて落ち込みましたが、結構読まれていてびっくりしました。
2013年前半はとにかく嵐だ。相葉担。
ただ、まだ田舎小学生にコンサートという選択肢はなく、まあ世に言う茶の間ファン。
そんなのんきにジャニオタしていたある8月の日。
24時間テレビのドラマ宣伝で母さんが大野担なのもあり、買っていたtv誌を見たわたしにじわじわと衝撃がはしった。
「山田君すっごいかっこいい…」
山田君の金田一とかは見てたが、今回は衝撃が違った。
落ちた…落ちたのだ…
そのまま、ドラマを見て、さらに落ちた…
ここ1人の山田担が生まれた←調子に乗りました。すません。
2014年は大好きな金田一とともに始まりjump熱は過熱していき、(このころの日記にいのちゃんは面白い枠とかいていたのがツボ)友をjump担に洗脳していき、楽しいジャニオタライフをすごした。
2014年も終わりに近づくと放送される「ベストアーティスト」で事はおきた。
newsの「行くぞ、ブラッジール」で私は笑いがとまらなかった。そしてつぼった。リア友もツボり次の日はその話でもちきりだった。
友達は、それきりだったがジャニオタ経験がすでにある私はどんどんはまっていった。
kaguyaがでたりとタイミングもよくいつしか、newsの活動を心待ちにするようになった。
正真正銘のトンチキ落ちだ。
2015年はjumpとnewsを中心に見ていた。newsはユルオタだったが本当に楽しんでいた。jumpもコンサートに初めて行き、感動した。ただ、編集がダルすぎてイラってしたりもした。そんな中大きい初体験もした。したくなっかったが。
あれは1年前newsに衝撃をうけた「ベストアーティスト」
今年も衝撃を受けるとは思わなかった。もう、おわかりだろう。
kat-tunの事はタメ旅が唯一見ているバラエティーだったし、4人のバランスが良くて、newsの次ぐらいに見てた。田口の「入口、出口、田口でーす」とビジュアルが好みで
1番好きだった。レギュラーもあるし、10周年で羨ましいグループだった。
初めて脱退を経験した時、まだそんなにファンではないグループでもこれだけの衝撃なんかと恐ろしく思った。
田口を覚えておくため、でkat-tunを前より見るようになった。
そんな、こんなで2016年。3月の田口最後のmステ。もらい泣きした。上田君の涙にやられた。この時から上田君を注目するようになった。それに重なるようたつぽよ。落ちた…
クラス替えでのストレスで帰り道オラオラしたくて、kat-tunの歌を大声で歌うというなんか、悲しいストレス発散してるうちに、沼へと足を突っ込むのだった。
甘栗、花街、ロバ丸と調べていくうちに、kat-tun熱は白熱し、というか現在進行形。
長々と、こんな、かんやで現在、
jumpの山田担
newsの加藤担
kat-tunの上田君担
となっている。
読んで下さった人ありがとうございます。はてブロ大好きなのでまた、書きます。その時はまた、読んでください。
ファンの方と交流がしたいのでコメントなど、して頂きたい。
ジャニオタな人生
こんばんは。あんこです。ジャニオタです。受験生です。
はじめて、ブログを書きます。文章力はまだまだですが、よろしくお願いします!
あいさつはこのぐらいにして、本題いきますか。
最初の記事は何にするか、とても悩んだのですが、いままで私がどんなジャニオタ生活を送っていたのか紹介することにしました。
ちなみに私の周りにジャニオタはいませんでした。しかも、小学校中学年までアニメと教育番組しかみてなっかた。そんな私がジャニオタになった第一歩が
国民的アイドル嵐
怪物くんぐらいの頃。嵐がとにかく出まくってたとき。衝撃ですよ!キラキラ!
怪物くんの時は土9見てたのですが、親が理解がなく(そんな母もいまや大野担w)
怪物くんが終わると教育テレビに戻ってしまいました。
が、2010年の歌番組は嵐だけが残っていたので忘れてはなっかったのでしょう。
さあ、年も明けて2011年。いつもどうり教育番組を見るためテレビをつけると、
「このフリフリの服カワイイ!」
ゴスロリに目を奪われ見た「デカワンコ」がおもしろくて見るようになりました。
そんな時「なにこの、イケメン!」
そう、テゴにゃんです。まだ自分でネットが使えなかったので母に調べてもらって苗字のめずらしさにすぐ覚えた。テゴマスでしか活動してなかったし、まだバラエティーにかんする事が何もなかったので、手越ブームはすぐすぎました。
が、しかし土9は毎週見るようになりました。
そして、嵐のバラエティーは見るようになり着々とジャニオタの道へと進んでいくようになりました。
そんな私にまたしても転機が。土9「妖怪人間ベム」です。
「なにこの、イケメン!」
そうなにを隠そう、かめにゃんです。このタイミングでkat-tunを知ります。
2012年そして、私のジャニオタが恐ろしく加速した「ジャニーズカウントダウン」が放送されます。見ているうちにまず、「タッキー&翼」にハマリます。タッキーの顔このみだし、トンチキソングにハマリます。
土9「理想の息子」ここで、jumpとキスマイにハマリます。ドラマが終わってから
は、キスマイ→jump→キンキ→newsにハマリ2012年はジャニオタを極めてまくをとじました。
2013年からは、パート2にします。
いや、ブログって難しい...
読んでくださってありがとうございます!
パート2もまたのせるので読んでください!